人の生きる本当の目的というのは霊性を高めることです。
本来であれば霊性を高めるのは当たり前のことなので高めるメリットを述べるまでも無いのですが、何らかのプラスの変化があるとやる気が出るかと思います。
このページでは、本に載っているようなことでは無く、私が考えたり感じたりしてきた霊性を高めるメリットをお伝えします。
霊性を高めるメリット
実は霊性を高めても、自身が感じる変化は劇的なものではありません。
自身の内部では大きな変化をしているのですが、じわじわと変わっていく変化には気付きにくいものです。
例えば登山をしたとき、登っているときは木々に囲まれていてどこまで登ったかは分からないもので、一歩一歩の変化は気付きにくく、山の頂に出て振り返ってみてはじめて高くまで登ったことに気付くものです。
しばらく霊性向上の勉強をしてみて、改めて振り返ってみると、こう変わったかな~と思うような、勉強とする前とした後でどんな心に変化があるかを考えていきます。
迷いが減る
人は何のために生きているのだろう?人の生きる目的ってなんだろう?
そんなことを考えたことはないでしょうか。
宗教やスピリチュアルに興味を持ってこのページを見ている人は、何らかの苦しみを感じて生きる意味や目的を考えてきた人が多いと思います。
- 他者のため
- 正しく生きるため
- 社会のため
- 社会的地位、評価を得るため
- 楽しむことが大事
- 愛する人のため
などなど、その人その人でいろいろな生きる目的を考えていると思います。
どれも否定できない素晴しいものですが、これらは全て「その人」の価値観で考えたもので、「その人」の生きる目的です。
「人間」の生きる目的であれば、その人その人で違うものではありません。
人は霊性を高めるために生まれて来ました。言い換えると魂を成長させるためです。
それは本人が気付いているか気付いていないかに関わらず全ての人の目的です。
生きる目的が自分で考えて決めるものだと、「これで良いのかな?」と迷いが生まれます。
「生きる目的は霊性を高めること」と心から信じられると「これで良いんだ」と迷いが減り自信を持って楽に生きることが出来ます。
でも、そう聞いても「ほんとかよ」とか「そうは言っても・・・」とか「お坊さんとかはそうかもしれないけど、一般人は違うよ」とか思いませんか。
私達は信仰心をあまり教わって来ていないので、信じられなくて当たり前だと思います。
しかしながら、疑いながらも勉強を続けていくと、霊性とか見えない世界があることを感覚として分かっていきます。
霊性が下がりそうなところに行って体調が悪くなり唱えて瞬時に体調が良くなるなどの経験しながら、感覚として霊性を高めることの必要性を理解していきます。
霊性の理解が進むと、「人の生きる目的は霊性を高めること」というのが当たり前のことになっていきます。
信じようとしなくても、そういうものだなと自然に理解できるようになって迷いが減っていきます。
事実が分かる
落ち着いているときは物事を冷静に見ることが出来て事実がどうなっているか分かると思うのですが、イライラしているときなど心に余裕が無いときには落ち着いて事実を把握することが難しいと思います。
霊性が高まると心に余裕が生まれます。
心の問題が未解決のうちは、イライラすることもクヨクヨすることも腹が立つこともありますが、それを受け止める心のタンクが大きくなった感じで、心が揺れている自分を客観的に見ることが出来るようになります。
心に余裕が生まれること、自分の考えや価値観によって、自分で自分を苦しめているというような客観的に見た事実に気付きやすくなります。
物事を客観的に見やすくなって落ち着いて対処が出来るようになります。
短期的な霊性の変化でも心のタンクの大きさは変化します。止まらない不快な感情に苦しんでいるときは、まず唱えて落ち着きを取り戻すということが出来るようになります。
愛されていることに気付く
霊性向上には人の力だけでは限界があって、神様仏様の力なくして更なる成長は出来ません。
そこからの成長は行を通して神仏の力をいただいて霊性を高めて行きます。
神仏はすべての人の成長を望んでいて手を伸ばして下さっています。
心理学ではすべての苦しみは根底には「自分は愛されていない」という感覚があると考えられています。本人が気付いていないこともありますが、多かれ少なかれ、すべての人が「自分は愛されていない」という感覚や思いを持っています。
ですが、本当はすべての人が神仏に愛されています。今このページを見ているあなたを含むすべての人です。
生きる目的が霊性向上なのですから、霊性を高める力を与えてくれるというのは、これ以上ない究極の愛ではないでしょうか。
霊性を高めて行くとある瞬間、「自分は愛されていたんだ!」神仏の愛に気付くことがあります。
もしかすると、霊性向上とは神仏の愛に包まれることかもしれません。
神様仏様の愛に包まれながら、魂が成長するとともに「自分は愛されていない」という感覚や思いが薄らいでいきます。
高めた先
さらに霊性を高めた先の世界は、さとりと言われる世界があるのだと思います。
私もまだ見ぬ世界なので教わった内容になりますが、私の師匠は「24時間何があっても幸せ」と言い、師匠の師匠は「至福」と表現していました。
いつの日かその境地を感じてみたいものです。そして、その境地は選ばれた人だけでなく、ほとんどすべての人がたどり着ける可能性を持っていると考えています。