こちらのページ(独学での霊性向上は難しい)で霊性の高い人の指導を受けることが霊性向上の近道であることを書きました。
では、どんな人が霊性が高いか、ということです。
私自身まだ未熟で、勉強仲間にもたくさんいますが、この世界には私より高い霊性を持った方はたくさんいると思います。
低いところから山の上に何があるのかは分からないように、そんな方を、私の持っている尺度で図るのは失礼かと思いますが、私の考えうる範囲の霊性の高い人の特徴を考えてみます。
霊性の高い人の特徴
たまに、イエスキリストやお釈迦様の生まれ変わりだという方の話を聞くことがあります。
またお釈迦様!お釈迦様が何人いるんだよ!ってツッコミたくなります。
自分が聖人の生まれ変わりだったり、選ばれた人だと言う方は、まず怪しんでみた方がいいでしょう。
「実るほど頭が下がる稲穂かな」ということわざがあります。
稲の穂は実るほどに穂先が低く下がるものです。成熟した人は頭を下げるような謙虚さを持っているものです。
自分に自信があれば、自分を飾る必要はありません。
心の問題をクリアしなくても、環境によってはある程度まで霊性は高まりますが、霊性指導に十分な格式を持っている方は飾ることの愚かさを理解していると思います。
もし仮にお釈迦様の生まれ変わりであったとしたら、自分をお釈迦様の生まれ変わりだとは言わないのではないかと思います。
生活にはお金がかかりますから、多少の宣伝は必要です。ですが、そこまですることは無いでしょう。お釈迦様の生まれ変わりというのはお釈迦様に失礼だと思います。
(本当にお釈迦様の生まれ変わりだったら私が失礼ですが・・・)
行をしている
自分は高い霊性を持って生まれて来た。というのを売りにしている人がいます。
確かに高い霊性を持って生まれて来た人はいますが、高い霊性を持って生まれて来ても修行無しでは高い霊性を維持できません。
その人の本来の高い霊性を内に持ちながら、一般的な人と同程度の霊性を持って生活しています。そのため、その霊性のギャップで体調の悪い方が多いです。
これらの方は霊能力や精神世界への理解があるので、修行をしていない方から見ると凄い人に見えるので注意が必要です。
また、「○○をきっかけに目覚めた」という方もアウトです。
このパターンはクンダリニーという体を流れるエネルギーが流れだしたとか、憑き物の力を受けているなどで悟ったと勘違いしているので、特に注意が必要です。
生まれ持った霊性が高いことも、クンダリニーが動き出すことも悪いことではありませんが、霊性を高めるには毎日の地味な修行の繰り返しが必要です。
自身も修行をしている必要がありますし、これから勉強する人も地味な修行や勉強が必要です。
一瞬で力を得られる。とか、短期で悟れる。を売りにしているものは避けることが無難です。
普通であること
心の問題をクリアすると社会に適応できるのではないでしょうか?
凄い衣装を着る必要も無いし、大きな宝石に包まれる必要もありません。
- ○○の生まれ変わりと言わない
- 長いひげを生やしていない
- 飛んだりしない
- あなたの後ろに○○がいるとか脅さない
霊性の高い方は、こんな感じで案外普通のおじさん、おばさんかもしれません。
ある程度の宣伝は必要かもしれませんが、過剰なことをする必要は無いと思います。
私の心理グループの先生は「良さをアピールしなくても大丈夫だよ。うちのをやっていれば次第にクライアントさんは増えていきますから」と言っていました。
過度に適応する必要も無いのですが、自信があれば良く見せる必要も無ければ、異端である必要もありません。
人を導くという意味で、こんな世界があることを困っている人に紹介することは大事なことかもしれませんが、勧誘されたくないという方の思いも尊重すべきものです。
正しい行をしていれば、過度な勧誘や脅してまでの勧誘は不要だと考えると思います。
術をひけらかせない
霊能力や神通力という超能力を持っている方がいます。
霊性的に敏感で霊性やエネルギーの変化を感じ取ったり、普通の人に見えないものが見えたり、聞こえたりする人がいます。
これらは自己能力であれば一つの才能ですが、自分の力ではなく憑き物に見せられていることが多いです。
憑き物の力は霊性を高めたいと願う人が使って良い能力ではありません。
仮に自己能力であっても、その人の特徴の一つでしかありません。においに敏感とか、視力が良いというようなことです。
大事な能力は漏尽通(ろじんつう)という修行を重ねた先にある、霊性向上のために使われる力だけです。
漏尽通を持つまでになった人は、能力を誇示することはありえません。
謙虚
こうやって書いてみると、霊性の高い方は謙虚な人なのかと思いました。
私も目指すところです。
ただし、謙虚であっても必ずしも霊性が高いわけではありません。
格式の高い修行が必要です。
修行の格式の高さは分かりにくいので、まずは、コツコツした行を続けた謙虚な方であるかを一つの判断材料にすると良いと思います。